About Pernille Rudlin

Pernille Rudlin was brought up partly in Japan and partly in the UK. She is fluent in spoken and written Japanese, and lived in Japan for 9 years.

She spent nearly a decade at Mitsubishi Corporation (the Fortune 100 $190bn Japanese investment and trading conglomerate) working in their London operations and Tokyo headquarters in sales and marketing and corporate planning and also including a stint in their International Human Resource Development Office.

More recently she had a global senior role as Director of External Relations, International Business, at Fujitsu, the leading Japanese information and communication technology company and the biggest Japanese employer in the UK, focusing on ensuring the company’s corporate messages in Japan reach the world outside.

Pernille Rudlin holds a B.A. with honours from Oxford University in Modern History and Economics and an M.B.A. from INSEAD and she is the author of several books and articles on cross cultural communications and business.

Since starting Japan Intercultural Consulting’s operations in Europe in 2004, Pernille has conducted seminars for Japanese and European companies in Belgium, Germany, Italy, Japan, the Netherlands, Switzerland, UAE, the UK and the USA, on Japanese cultural topics, post merger integration and on working with different European cultures

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データの視覚化 

https://jakubmarian.com/people-killed-in-road-accidents-by-region-in-europe/
ヨーロッパを地図で紹介する www.jakubmarian.com

ヨーロッパの人が日本の人に提案をする際、あるいはディスカッションをしようとする際は、アイデアを視覚的に示すといいと、私はよくアドバイスしています。これにはいくつかのメリットがあります。第一に、英語の文章量を減らせること。この結果、日本の人がそれほど奮闘しなくても、提案内容を理解できるようになります。第二に、図解があることにより、私情抜きで冷静なディスカッションができるようになることです。指し示して意見の不一致を認める「対象物」ができるため、誰かの抽象的な考えをめぐって論争する必要がなくなります。

第三に、そもそも日本人は漢字という視覚描写的な文字、つまりコミュニケーション方法に慣れていることです。欧米では文章で直線を示していくような形式のコミュニケーションが主流ですが、日本人は、複雑な概念を視覚的かつ全体的に提示されることに対して高い受容力を持っています。

このような理解があったため、私は、イギリスの調査会社で働いている若い日本人の女性社員が言ったことに相当な驚きを覚えました。イギリスの同僚は、彼女が日本で経験してきたよりもはるかに多くの図解を使って調査結果を示していると言ったのです。特にインフォグラフィックが多用されていて、時にはインフォグラフィックと聞き取り調査の録画をビデオ形式の報告書にまとめて顧客に送ることもあるとのことでした。

ビッグデータ時代の到来に伴って、データの視覚化は成長産業になっています。そこで日本企業は、この種のスキルを持った会社や人材を雇い入れるべきなのでしょうか。それとも、これは何らかのソフトウェアを入手すれば簡単に自動化できることなのでしょうか。

データを視覚化するための自動化ツールは存在していますが、重要なのは、なぜそのデータを視覚的に示したいのかをまず考えることです。通常、視覚化する目的は、洞察をもたらしてディスカッションを刺激することです。インフォグラフィック自体が答えを示してくれるわけではありません。ディスカッションは、人間がインフォグラフィックの様々な解釈を説明し、取るべき行動について意見を語ってこそ成立します。インフォグラフィックは、指し示して意見の不一致を認める「対象物」であると同時に、バックグラウンドや母語が異なる人たちがより平等に討論する機会をもたらします。技術的なカベとしての言葉の重みを軽減するためです。

前述の日本人女性が働いている市場調査会社は、イギリスで設立され、2014年に日本企業から買収されました。ただし、アジア各地にオフィスがあり、多言語を話すスタッフがヨーロッパ全域に出張しているほか、イギリスにあるコールセンターは30言語以上に対応しています。

グローバルなマーケティング・サービスの会社にとって、イギリスは明らかに有利な事業拠点です。英語コミュニケーションの中心地であるうえ、多国籍の労働力があるため、様々な文化でデータが適切に解釈されるかどうかを確認できる人材が見つかります。日本のマーケティング会社や広告会社が近年イギリスの会社を多数買収しているのも、このためです。イギリスのEU離脱によって域内の移民や移動の自由にあまりにも多くの障害ができてしまい、この優位性が失われないことを願うばかりです。

 

パニラ・ラドリン著 帝国データバンクニューズより

ヨーロッパで活躍している日本人マネージャー向けにパニラ・ラドリンの日本人マネージャー向けのパフォーマンス管理多国籍チー日本人マネージャー向けのパフォーマンス管理ムと円滑に働く方法のオンラインコースと「日本人マネージャー向けのパフォーマンス管理」のオープンセミナーお勧めします。

 

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シチュエーショナル・リーダーシップ

ヨーロッパ勤務になった日本人社員が最も難しいと感じることのひとつが、様々な国籍の人たちと働かなければならないことです。勤務地がロンドンであれ、デュッセルドルフであれ、アムステルダムであれ、同僚がイギリス人、ドイツ人、あるいはオランダ人だけということは、おそらくないでしょう。ルーマニア、リトアニア、ポーランド、スペイン、さらにはインドや中国の出身者も含まれている可能性が多々あります。

日本で提供されているグローバルなリーダーシップ研修やマネジメント研修の多くは、アメリカのモデルに基づいています。ヨーロッパの人はアメリカ流の経営スタイルに馴染んでいるため、少なくとも表面的には寛容に受け止めるでしょう。ただし、ヨーロッパの社員に表面的なコンプライアンス以上の行動を取ってもらおうと思うのであれば、これらの画一的なモデルの多くは、究極的に有効ではありません。事実、士気を下げる可能性があり、特にあまりにも厳密に数値目標を重視するとそうなります。

ヨーロッパのマネージャーがアメリカ流のモデルで最もうまく機能すると感じているのは、「シチュエーショナル・リーダーシップ」と呼ばれるスタイルです。何も新しい理論ではなく、1960~70年代にアメリカ人のポール・ハーシー氏とケン・ブランチャード氏が開発しました。これがヨーロッパの事情に合う理由は、唯一絶対の優れたリーダーシップ・スタイルは存在しないという考え方を基本としているためです。シチュエーショナルなリーダーとは、状況を見極めたうえで、自分のリーダーシップのスタイルを柔軟に調整し、適切にコミュニケーションできる人です。また、部下それぞれの「パフォーマンス・レディネス」、すなわち能力と意欲のレベルを考慮に入れます。

国ごとの文化の違いは、このモデルでは特に言及されていません。が、私のトレーニングでシチュエーショナル・リーダーシップを取り上げる際は、ヨーロッパ各国の傾向として知られるものに必ず結び付けるようにしています。具体的には、トップダウンの意思決定とコンセンサス構築のどちらを好むか、フィードバックを提供したり指示を出したりする際に直接的なコミュニケーションと間接的なコミュニケーション、フォーマルとインフォーマルのどちらを好むか、といった違いです。

日本人の長所と短所

もちろん、ヨーロッパに着任して日が浅い人にとっては、これがかなりの負担に感じられる可能性があります。とりわけ、伝統的な日本の会社に勤めてきた日本人にとっては難しいことかもしれません。自分の気持ちや能力には関係なく、とにかく上司が言ったことを遂行すべく最善を尽くすという文化に慣れているためです。

でも、日本人のマネージャーには2つの大きな長所があると、私は考えています。あくまで一般論であって全員には当てはまらないかもしれませんが、25年にわたって日本企業にかかわってきた経験のなかで私が知り合った日本人のほとんどは、自分の能力を謙虚に受け止めていて、かつ他の文化に対して好奇心が旺盛です。つまり、学ぶ意欲があり、自分にとって普通のやり方でも変える必要があるかもしれないということを受け入れる姿勢があるのです。

 

パニラ・ラドリン著 帝国データバンクニューズより

シチュエーショナル・リーダーシップについてパニラ・ラドリンの日本人マネージャー向けのパフォーマンス管理多国籍チー日本人マネージャー向けのパフォーマンス管理ムと円滑に働く方法のオンラインコースと「日本人マネージャー向けのパフォーマンス管理」のオープンセミナーお勧めします。

 

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日本語に「リスク」という言葉がないのはなぜか?

以前から思っていたことですが、先日、日本エマージェンシーアシスタンスの吉田一正社長の講演を聴きながら、あらためて思ったことがありました。英語の「リスク」に相当する日本語の言葉が存在しないという事実です。吉田社長がプレゼンのスライドで「リスク」の定義を説明した際にも、カタカナで書かれていて、これが外来の概念であることを示唆していました。吉田社長いわく、「リスク(risk)」は危機が発生する潜在性であり、その潜在性が現実になれば「脅威(threat)」、そして有害な事態になれば「危機(crisis)」とのことでした。

でも、「危機」が「リスク」の代わりに使われていることもあり、このため「risk management」と「crisis management」を日本語で区別しようとすると問題が生じます。多くの場合、前者は「リスク・マネジメント」という外来語で、後者は「危機管理」と日本語で語られているように見受けられます。

そこで、なぜ日本語に「リスク」に相当する言葉がないのかを吉田社長に聞いてみたところ、同感といった面持ちで、特に日本は自然災害が多いことを考えると不可解だと語ってくれました。危機が目の前で起きれば対処できるけれども、事前には対処できない日本人のマインドセットに関係があるのではないかと、吉田社長は考えていました。それゆえに、東日本大震災が福島原発事故という人災につながったように、自然災害がさらなる危機に発展しないように予防することにかけては日本人は得手でないという見方でした。

たいていの人は、リスクの評価やリスクへの対応は得意ではありません。個人的にコントロールできない状況(飛行機の墜落やテロ)に直面する可能性をはるかに過大評価し、コントロールできると思う状況(道路の横断やスキー)のリスクははるかに過小評価しています。このため、地震や火山や津波といった大規模な自然災害に定期的に見舞われてきた歴史こそが、日本人を麻痺させるのかもしれません。言わば「まな板の上の鯉」という心境でしょうか。

危機がそもそも発生しないようするための努力は盛んに行われていますが、避けられないリスクに対処するための計画を策定する努力はそれほどでもありません。そして、危機が発生すれば、通常は対処するよりも隠匿されています。日本企業は、間違いが起こった後に導入された再確認と再々確認の手順でいっぱいです。

吉田社長は、日本企業がすべきことについて明確な考えを持っていました。「リスク」を担当する執行幹部を指名することです。しかも、この役職者は、事業部門の管理職から横すべりするような形で指名されるべきではありません。社長に直結するパイプを持ち、事業部門に司令を出せる必要があります。このため、この役職は要職であると社内で認められなければなりません。スペシャリストをこの役職に就けるか、さもなければ将来社長になるうえでこのポストの経験が必須とすべきです。そして、吉田社長の言葉を借りるならば、「逃げ隠れしない」人物でなければなりません。世の中はますますリスクの高い、不透明な世界になりつつあります。グローバルな「リスク」を翻訳する担当者が、日本企業に求められています。

パニラ・ラドリン著 帝国データバンクニューズより

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私の新年の抱負 ― 話すよりも尋ねる

クリスマスパーティーに行く前に少し時間があったのでロンドンのバーで時間をつぶしていたところ、隣のテーブルに座っていた年配のアメリカ人の男性が突然身を乗り出して話しかけてきました。「イギリスのEU離脱について聞いてもいいですか」。聞くとその方は金融業界を専門とする弁護士で、今は半ば引退して仕事は少なめにしているものの、これから出席する米英間の夕食会の準備としてイギリス人の考え方を知りたいと思っているとのことでした。

私はこのリクエストを快諾し、ただし交換条件として米国についての彼の見解を聞かせてもらうことにしました。その週の後半に日本の新聞からトランプ氏の選挙の影響について取材されることになっていたからです。こうして私たちはしばしの意見交換をし、今のように不透明で混乱しがちな世の中にあって、グローバルなビジネスピープルが対話を続けることが重要だという点で意見が一致しました。そして今後も連絡を取り合うことにして別れました。

この方は、私が聡明そうで分別がありそうに見えたから声をかけたと言ってくれました。そんなふうに見えたとしたら、原因の一部は、2016年に入って白髪を隠さないことにしたせいかもしれません(新しい写真のとおりです)。50歳になったことを否定するより誇りにしようと思ったのです。とはいえ、この方と話したことで、見た目や話し方に年齢なりの知恵が表れるのを待っているのではなく、他の人の見方や考え方を自分から求めるのが真の知恵なのだということを学びました。

選挙運動中の政治家はよく市民の声に「耳を傾ける」と言いますが、声の大きい人ほど「耳に届く」のは否めません。イギリスの国民投票と米国の選挙の際も、声高な人々が人種差別や性差別、あるいは妄想とも言えそうなことを様々に語っていました。その結果、多くの人が「他人」をシャットアウトして、同じ見方をする友達だけとソーシャルメディアでコミュニケーションしていました。

でも、「耳を傾ける」だけでは十分ではありません。普段は話さないような相手に自分からアプローチして、どう思うのか、なぜそう思うのかを尋ねる必要があります。これは私がセミナーで努力している点です。実際、参加者が自分の経験を共有したい、別の解決法もあると言ってくれたほうが、自分の知識を単に話すよりも私にとって格段に楽しいのです。

ヨーロッパ駐在の日本人マネージャーに私がよく説明するのは、ヨーロッパの人は常に「なぜ」を知りたがるため、理由を説明できるよう準備しておかなければならないということです。また、ヨーロッパの人は、意見を求められたい、相談されたいとも考えています。「イエス」か「ノー」かで答えられない質問をされたいのです。イギリスとイタリアが示したように、「イエス」か「ノー」かの投票は、物事を明確化するよりもむしろ混乱を招くことがあります。イエスかノーかで質問すれば、ストレートな拒絶を招き、なぜ拒絶したのか、代わりにどうであったなら許容したかを尋ねる余地がないためです。

そこで私の新年の抱負は、自分の意見は内に留めておいて、他の人の意見を求めること、なぜそう思うのかを尋ねることです。

 

パニラ・ラドリン著 帝国データバンクニューズより

ヨーロッパ人の「なぜ」に対してどう答えればいいか?パニラ・ラドリンの多国籍チームと円滑に働く方法のオンラインコースをお勧めします。

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ラドリン・コンサルティング

ラドリン・コンサルティングでは、欧州・中東・アフリカに投資している日系企業にコンサルティングを提供しています。

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フィードバックは言葉だけの問題にあらず

在ヨーロッパの日本人駐在員のマネージャーを対象に、フィードバックとパフォーマンス評価についてトレーニングをしてほしいという依頼が、このところ急増しました。顧客企業の人事担当者と話したところ、日本人マネージャーと部下のチームがうまくいかないことが増えているとのことでした。

ヨーロッパの社員が日本人マネージャーのフィードバックの仕方に不満を抱くというのは、何も新しいことではありません。よくある不満は、フィードバックがまったくない、あるいはネガティブなフィードバックや定量的なフィードバックしかもらえない、といったものです。私は通常、フィードバックという習慣が日本の企業文化には定着していないせいだと説明しています。また、日本の社員はチームで働くのに慣れていて、個人としてパフォーマンスを評価されることはあまりありません。それに、優秀な社員というのは、人から言われなくても自分を向上させられる社員だと思われています。

1990年代に日本で働いていた頃、多くの日本企業が成果主義を導入し始めましたが、あまり成功しなかったことを覚えています。個人を評価することで、日本の職場の強みである協調的な働き方や知識を惜しまず共有する雰囲気に悪影響が及んでしまったのです。

1990年代以降に開発された日本企業の査定制度は、ヨーロッパの制度に比べてはるかに定量的です。マネージャーは、パフォーマンスや目標達成度のみならず、行動や姿勢、能力に対しても数値のスコアを付けます。しかし、ヨーロッパでは通常、行動や姿勢や能力に関しては、「期待を満たした」、「期待を上回った」、「期待を下回った」といった定性的な評価のみをします。

日本の定量的なアプローチは、より客観的で、個人的な感じがしないと言えるでしょう。数値は全社的に分析することができ、解釈の余地や言葉の壁に左右されません。 一方、ヨーロッパでは、対話を促すために定性的な評価を用います。上司が部下に対して期待することを説明したうえで、能力開発の機会について合意し、上司からのサポートやトレーニングのニーズ、今後のキャリアパスなどについて共通の理解を確立しようとします。

教育制度の違い

こうしたアプローチが用いられる背景には、教育制度の影響があります。私の経験では、日本の教育制度は、事実や方法についての知識を調べる試験を中心としていて、多くは選択式の問題です。こうした試験には、明らかな正解と不正解が存在するという前提があります。

ヨーロッパの教育では、クリティカル・シンキング(批判的思考)を重視し、物事の背後にある理由を理解しようとします。試験はたいてい論文で、理系の科目でもそうです。採点に当たっては、事実や方法論が正しいかどうかもさることながら、立論や論拠の質が問われます。

この結果、ヨーロッパの社員は、行動や姿勢や能力のスコアを黙って受け入れたりしません。マネージャーが抱いている期待を最初に明確にしたうえで、コンスタントにフィードバックを提供してくれることを求めているためです。そして、評価を付ける際には、期待に応えたかどうかを論拠を示して説明してほしいと考えます。特にミレニアル世代の社員は、このような指導を期待しています。日本人のマネージャーがフィードバックについてのトレーニングを必要とするのも無理はありません。言葉の問題だけではないのです。

帝国データバンクニューズ 2017年10月11日 より

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日本語を学ぶ価値はあるか

日本語が話せると言うと、たいていは「ものすごく頭が良い人なのですね」とか、「仕事の需要があるでしょう」といったコメントが返ってきます。でも、実のところ、私は愚鈍な方法で日本語を学びました。子供時代に日本に住み、日本の学校に通ったのです。仕事の需要はどうかというと、たいていの会社は日本のスペシャリストをフルタイムの社員として雇う気はないと思われます。

ですから、日本語が話せる人に対して私がアドバイスするのは、どんな業界のどんな仕事に就きたいかをまず考えて、そのうえで日本語を活かす方法を見つけるべきだということです。ほとんどの会社は、特定の言語スキルよりも技術スキルや対人スキルを重視していて、それが正しい姿勢でもあります。

日系企業のほか海外で日本関連のサービスを提供している企業がしばしば日本語の話せる人を雇っているのは事実です。けれども、翻訳兼カスタマーサービス兼通訳のような不明瞭な役職を与えられて、きちんとしたキャリアパスが見えなければ、不満が募る結果に終わる可能性があります。

日系企業で働いている日本人以外の社員から、日本語を学ぶべきかと聞かれることもよくあります。そんな時、私はいつも、週1回のレッスンで流暢になれると思っているのであれば挫折すると警鐘を鳴らすようにしています。3種類の敬語があり、物によって数え方が異なり……といった日本語の特徴を知るなり、絶望してギブアップすることが容易に想像できます。

とはいえ、直接的な結果にはつながらないとしても、日系企業は日本語を勉強したいという社員をサポートして学費を支援すべきだと、私は考えています。別の国の言葉を学ぶことは、その文化を理解するのに役立ち、無意識の行動変化にすらつながるという研究結果が増えているからです。状況をどう分析し、どのように反応するかが変わる可能性があるのです。

例えば、日本語は「無私」の言語ですが、これは日本の価値観の核でもあります。英語で主語の“I”を省略することはほとんどありません。例えば、“I give you a pen.”(私はあなたにペンをあげます)。でも、日本語では多くの場合、主語を省略し、目的語すら省略することがあります。“give”(あげます)と言えば、文脈が他のすべてを補うのです。これは、日本語のコミュニケーションのもうひとつの特徴です。「ハイコンテクスト」、すなわち言葉で言われていないことを理解し、それに注意を払うのです。

多言語話者の社員は、日本の企業文化に対する理解だけでなく、他の恩恵ももたらす可能性があります。最近の神経科学の研究によると、多言語話者の脳は異なった働き方をすることが分かっています。例えば、第一言語以外で物事を進める際に、より合理的な決定を下す傾向にあります。第二言語で仕事をすると、物事への執着が薄れ、結果としてリスクとメリットを的確に評価できるようになります。

過去12年間にわたってヨーロッパの日系企業数百社とかかわってきましたが、域内のドメスティックな企業に比べて、多言語話者の社員の割合が高いように見受けられます。もしかすると、多言語話者は(たとえ日本語の話者でなくとも)複雑な状況で問題を解決する能力に長けている可能性が高いということを、日系企業は本能的に嗅ぎ取っているのかもしれません。

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日本とオランダのコンセンサス作りの違い

日本のビジネスで最もよく実践されているコンセプトのひとつである「根回し」は、しばしば日本式のコンセンサス構築のやり方だと説明されています。もう少し詳しく説明する場合は、本来の言葉の意味に踏み込んで、植木を植え替える前に根の周りを掘ることと説明することもあるかもしれません。私自身は、トレーニングで根回しについて説明する際、できるだけ鮮明なイメージを描くために、ある程度成長した木を植え替えるに当たって単に地面から引っこ抜けば木が死んでしまうことを指摘するようにしています。この喩えは、日本企業に新しいアイデアを植え付けようとする際に特に当てはまります。意思決定の権限があると思われる人(「木の幹」)にアプローチしてその人から承認を得ても、その意思決定は植え替えの途中で死んでしまう可能性が高いのです。決定から影響を受けるであろう人、決定に興味を抱くであろう人すべての理解や合意を取り付けなかったためです。

コンセンサスを重視する文化があるヨーロッパの国

オランダやスウェーデンのようにコンセンサスを重視する文化があるヨーロッパの国の出身者は、この説明を聞くと次のように反応します。「もちろん、私たちもこの種のコンセンサス構築をしていますよ。常識です」。オランダでは、コンセンサスに基づく意思決定はポルダー・モデルと呼ばれています。ポルダーとは、堤防で守られた海面よりも低い干拓地です。かつてオランダでは、百姓であれ貴族であれ、ポルダーやその近くに住んでいれば、ポルダーをどうやって守るかについてコンセンサスを確立する必要がありました。そして計画を実行するには、全員の参加が不可欠でした。さもなければ、全員に影響が及んだためです。現代ではこの言葉が、賃金や社会福祉、あるいは環境保護をめぐって政府と労組と企業の間で確立する政治的なコンセンサスを言い表すのに使われるようになりました。

根回し=「誰もが責任を持っているが、誰も責任を取ることができない」

ですから、オランダ人も日本人も、コンセンサスに基づく意思決定にかけては長い歴史があると言うでしょう。しかし、『ジャーナル・オブ・マネジメント・スタディーズ』誌に今年発表された研究*では、「コンセンサスという概念の解釈が、日本とオランダの管理職者の間で大きく異なる」と結論されました。日本の会社では、根回しが一連の非公式な話し合い、多くの場合は11の会話を通じて行われます。こうすることで、「植え替え」について話し合う会議までにはコンセンサスが出来上がっているのです。このため、会議はどちらかというと形式的で、意思決定を確認する場と言えます。一方、オランダでは、コンセンサスが会議の最中に作られ、その過程では口角沫を飛ばす議論が行われることもしばしばあります。また、日本人の管理職者は、より完全なコンセンサスを求めます。他の部署も含めて全員が同意する状況です。けれどもオランダ人は、「コンセンサスを確立しようとするプロセスを重要だと見なす一方で、どうしても意見の相違が克服できない場合は誰かが意思決定を下す」のだそうです。

このため、この意思決定を下す人が、物事がうまく運ばなかった場合に責任を取ることになります。日本では、意思決定者と会社をリスクにさらさないために、また社員の調和と忠誠を守るために、完全なコンセンサスが必要だと考えます。そして、このように完全なコンセンサスに達するには時間もエネルギーもかかるため、ひとたび決定が下されると後戻りすることはありません。オランダ人にとっては、これが日本企業の病の兆候のように見受けられます。すなわち、「誰もが責任を持っているが、誰も責任を取ることができない」という状況です。

*Comprehensiveness versus Pragmatism: Consensus at the Japanese-Dutch Interface, Niels G. Noorderhaven, Jos Benders and Arjan B. Keizer, Journal of Management Studies, 2007

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春の大掃除 ― 宗教と一年のリズム

ヨーロッパ北部に住む日本人から、日本のはっきりした四季が恋しいという話をよくされます。初めて聞くと、ほとんどのヨーロッパの人にとっては不可解に聞こえるかもしれません。ヨーロッパにも明らかな四季があるというのが、こちらの通念だからです。でも、日本に比べると季節の移り変わりが不安定で予測できないのは確かですし、秋から春にかけてはただひたすら雨降りの寒いグレーな日が続くだけということもあります。

今年は冬が暖かかったおかげで、そのまま突入するかたちで早めに春がやって来ました。私が犬の散歩に行く公園ではスイセンとクロッカスが咲き始めていて、先の週末には街がなんだか賑わって活気づいて見えるという話を夫としたところです。シーズン終わりのセールは今も続いていますが、春物も入荷していて、フレッシュな明るい色がウィンドウを飾っています。明るい日差しに招かれて、私も外へ出て、冬の間に汚れた窓の外側をきれいに掃除しました。夫が進めているキッチンのペンキの塗り替えも、完成間近です。

イギリスではこれを春の大掃除と呼んでいて、日本で年末にやる大掃除に似ています。逆に私たちは、年の暮れに大掃除をすることはあまりありません。その一因は、日が短すぎるからです。12月末ともなると午後4時ぐらいには暗くなってしまい、朝は8時すぎまで日が出ません。それに、昼間でも陰鬱なお天気のせいか、汚れが目に付かないのです。

春はまた、キリスト教の暦で再生と復活の時でもあります。今年は2月10日から3月24日が四旬節で、この間は飲酒や喫煙などの不徳な行動、さらにチョコレートなど好きな食べ物を断つ時とされています。これには、イエス・キリストが荒野で断食した40日間を思い起こすという意義があります。そして、四旬節の準備期間を経て、イエス・キリストの死と復活を祝う復活祭(今年は3月26、27日の週末)へと至ります。これらの日付は年によって変わり、来年の復活祭と四旬節は、今年よりも3週間遅くなります。

イースター=「夜明け」が起源

復活祭は英語ではイースターですが、実はこの言葉にはキリスト教よりも古い起源があり、「夜明け」を意味する古いゲルマン語に由来しています。8世紀の歴史家ベーダによると、ヨーロッパ北部の異教に「エオストレ」という名の夜明けの女神がいました。そのシンボルが野ウサギであったことから、復活祭の飾り付けの多くがウサギをモチーフにしていると考えられています。復活祭のもうひとつのシンボルである卵は、現代では卵形のチョコレートやカラフルに色付けした鶏の卵が使われていますが、これもやはりキリスト教以前の、春分の頃に卵を贈った慣習から来ています。

日本のように4月1日から3月31日を年度とする会計方式は、ヨーロッパでは一般的ではありませんし、学校の新学年は9月か10月に始まります。とはいえ、3月や4月はなおも、会社をリフレッシュして新しくするのに良いシーズンです。2月と3月の大掃除や準備期間を経て、それに続く4月に新たな命を授けられるというリズムは、ヨーロッパの精神性にも深く根を下ろしています。

 

パニラ・ラドリン著       日刊帝国データバンク・ニューズ 2016年3月9日

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「サービス」か「サービシズ」か?

ある日本人の起業家がこんな話をしてくれました。サービス業の会社を設立しようと思うのだが、複数の友人から反対されているというのです。その理由は「日本の客はサービスに金を払わない」からだそうです。この起業家とは日本語で話をしましたが、私は頭の中でこの「サービス」とは「services」だと理解していました。つまり、農業や製造業ではないサービス産業のことを言っているのだと思ったのです。

この会話がその後も気になり続けました。私も「services」を売っている一人です。私が提供しているのは日系企業向けのコンサルティングやトレーニングですが、時折その対価を払いたがらない日本人がいることには気付いていました。とはいえ過去12年にわたって私の会社が利益を上げてこられたのは、日系企業側の現場担当者がたいていはヨーロッパ出身者で、彼らはコンサルティングやトレーニングに対価を払うことにはるかに慣れているからでしょう。

ここに言葉の違いがあるのも事実です。英語の「service」は、冠詞の「a」を付けないか、あるいは「the」を付けて使われます。「pay for service」や「how was the service」という具合です。これはカスタマーサービスの意味であって、ここに混乱が生じていると思うのです。私が話した起業家の友達は、日本の顧客はカスタマーサービスに追加で料金を払う気がないということを言っていたのかもしれません。日本では優れたカスタマーサービスは自動的に付いてくるものであって、購入したものの代金に含まれていると思われています。

ある概念が別の言語にどのように翻訳されるかは、時として、その概念がその文化においてどのように受け止められているかを知る手がかりとなります。特に日本語では、カタカナでのみ存在する言葉は、その概念が日本において本当には存在していないことを意味するのかもしれません。言うまでもなく、日本語の「サービス」は英語の「service」とは異なり、「無料」という付加的な意味を含んでいます。

サービスの値段をどのように設定するかは、製品の値段よりも複雑です。そのサービスを実現するのにかかった時間と専門性が絡み合います。最近、ある見込み顧客から、私の会社のトレーニングは別の会社よりも50%割高だと言われました(この別の会社の本業は語学学校です)。私は、同様の状況にある他社に対しても同じ値段を提示しており、弊社の専門性の対価としては妥当な価格だと説明しました。その語学学校に専門ノウハウがないことも承知の上でした。最終的にこの会社は、弊社のサービスを選んでくれました。

ヨーロッパの顧客は、自社の問題を解決してくれるサービスに対してお金を払う用意があります。ですから、サービスの質がどれだけ高いか、どれだけ専門性があるか、どれだけ時間がかかるかを説明するだけでは、十分ではありません。ヨーロッパのB2Bサービスの営業担当者が皆、最初に顧客と信頼関係を築いて顧客の抱えている問題を話してもらおうとするのはそのためです。「サービス」よりも「ソリューション」という言葉が好まれるのもそのためです。この言葉は、問題を解決してくれる製品とサービスの統合物を購入していることを示唆するからです。

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