カストマー・サーブス(その2)

前回の記事で、日英のカスタマーサービスに差があるのは多くの理由が背景にあることに触れました。そしてこれらの理由から日英の企業文化の違いの成り立ちに辿りつき明らかにすることが出来るのかも知れません。

ここで、私がまず最初に検証したいのは、企業理念と日英の会社の歴史的背景の違いです。ご存知の通り、人類最初の産業革命は英国で興りましたが、必ずしも最初が最良と同義語ではありません。これはロンドンの地下鉄が一つの例と言えるかもしれませんね。実際、私達が多くの失敗を重ねる事で、他の人が何かを学ぶことができます。

英国の産業革命の副産物として生まれた社会問題に対する意識は、未だに英国国民の心に影を落としています。例えば英国人は会社の経営者と聞けば、腹黒い金持ちの資本主義者をイメージするのです。のどかな田園風景を黒々とした不吉な工場に塗り替え(有名な英国の賛美歌エルサレムからの抜粋)、職場環境や健康には目もくれず、労働者を家畜のごとく酷使する悪代官として捉えてしまいます。

日本で後に始まった産業革命でも社会問題は起こったものの、日本は国家の近代化と、産業力・軍事力において西洋諸国にひけを取らない実力をつける為に精一杯でした。19世紀の終盤に成熟した日本の会社の企業理念は、企業は富国の為にあるという概念のもとにあり、これは20世紀初頭に設立され、社是7条の中に“工業を通じて国家に奉仕“を掲げる松下電器のような企業にも引き継がれていきました。そして第2次大戦後、日本は国を挙げて働きつめ、再び一流工業国に復興させ、”奇跡の日本経済発展“を遂げました。やはりその頃に設された企業、例えばホンダ技研などは、「社員の幸せと社会貢献」を強く謳っています。

それに対し、英国の産業革命以降の製造企業と社是を見てみると、往々にして社会貢献とか、社員の幸せという言葉は見当たりません。といっても、ごく最近は企業の社会貢献がファッショナブルな傾向になってきていますが。1970-1980年代に多くの伝統産業が打撃を受け、これまで自分達に良くしてくれていた会社が大幅な人員削減を決行していく中、人々の会社への信頼感と、労働階級としての誇りは消え失せてしまいました。炭鉱、鉄鋼、エンジニアリングといった産業で失職した人々は、俗語でMc Jobsと言われた、不安定なサービス業へと移行せざるを得なかったのです。

アングロサクソン資本主義における企業は、利益率や投下資本の株主へのリターンが目的の、株主中心主義と捉えられています。これに対し日本の会社は会社を支える基本要素は利害関係がまずは社員であり、次にお客様であり、社会であり、そして最後に株主であり、英国の会社は日本のステークホルダー型企業の在り方とその様相を異にしているのです。英国の顧客サービス担当者は、過去150年の階級社会で培養された恨みとか憤り、単純労働者の誇りの喪失感と、自分の雇用主は自分や顧客や社会の事なんか、本当はこれっぽちも考えてくれていないんだ、という混ざり合った思いで対応している訳です。とは言え、勿論全てがこのようなわけではありません。次回はまた違うケースを明らかにしてみたいと思います。

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’さん’ – The ‘san’ thing

私のトレーニングでは必ずと言っていい程、現地の参加者から、‘さん’についてどのよう使ったらいいのか?と質問があります。実際にビジネスの礼儀作法について話をする時、一般に考えられている程これは難しい問題ではないんですよと説明します。要は、苗字に“さん”とつければほぼ間違いありません。

とは言うものの、もう少し説明を付け加えます。米国生活の長い日本人男性は西洋人のニックネームとか名前を縮めた呼び名を取り入れているようですし、日本人女性の場合は、男性よりもファーストネームで呼ばれる事をむしろ好むようです。一つには女性の名前は男性の名前より短く、外国人にも発音し易いという事もあります。
私の日本人顧客の中に、自分のニックネームをキースと称している人がいるのですが、ヨーロッパ人の同僚には、‘キースさん’でなく‘キース’、と呼んで欲しいと言っています。英国に長く住んでいる日本人女性が同様の事を言っているのを耳にした事があります。

‘さん付け’を止めて欲しいと思う日本人の気持ちが、私には分かる気がします。以前日本で働いていた頃、同僚の中に私を‘ミス・パニラ’と呼ぶ人がいたのですが、余り嬉しい呼ばれ方ではなかったのを覚えています。文化の違いを見せつける過剰な礼儀正しさによって、逆に私と同僚との距離感を広げてしまうように感じたのです。日本の職場環境にうまく順応しようと日々心がけているのに、‘ミス・パニラ’などというおかしな呼ばれ方をすると、何だか妙に目立ってしまうようになりました。

私は日本人の知人からは普段は‘パニラさん’と呼ばれ、それで全く問題はありません。もう少し若かった時は、上司からからかい半分でパニラちゃんと呼ばれたこともあります。ところが、最近聞くところによると、大手日系電子メーカーの日本本社では、パワーハラスメントの要素を含むとの理由で、社内で‘ちゃん’付け‘君’付けを禁止したそうです。

これに反して、日本企業に買収された金融機関のヨーロッパ人管理職の人達が言うには、日本人の同僚から、日本人部下を呼ぶ際には苗字に‘君’をつけるようにアドバイスされたというのです。そのアドバイスに反対する気持ちはないのですが、そうする事によって、力関係を自然と作り上げることにもなってしまいますよ、と意見しました。

また更にややこしいのは、英国やヨーロッパでののMrsとMsの使い方と名前の呼び方です。私はMrsラドリンと言われるより、Msラドリンと呼ばれる方を好みます。というのは、ラドリンという苗字は旧姓であり、結婚後も仕事上使っているからです。ところが、仕事上はいずれにしてもファーストネームを使うのにも拘わらず、英国人女性の中には結婚後、苗字を変えてMrsとなることをかなり重要に捉えています。一方ドイツやオーストリアでは、往往にして今でも苗字のHerr(Mr)とかFrau(Mrs)をつける呼び方にこだわるようです。

結局のところ、互いをどう呼ぶべきか、全ての人が最初からはっきりしておけばいいのではないでしょうか。例えばこちらから、初対面の時点であっても、もうちょっと慣れ親しんで来た時でも、「ところで、お名前はどうお呼びしましょうか?」と聞いてみるのが最良の策なのかもしれません。

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ものづくりとマーケティング

日本語の言葉の中には、そのまま英語に訳せないものがあり、同様に英単語にも日本語に置き換えられず、そのままカタカナで表記されることがあります。これは文化の違いから生じるのですが、日本語の「ものづくり」そして英語の「マーケティング」等は文化的な観点からなかなか上手く訳せない言葉の一例ではないでしょうか。

ただこの二つの言葉は、実は概念的にはどこかでつながっているように思えるのです。このことは先月私が主催したセミナーに参加した幾人かのヨーロッパ人が「フラストレーション」をこめて次のように発言したことからもうかがえます。

参加者の中にいた、3名のシニア営業職の方々は、それぞれ銀行、電子、セラミックの日系企業で働いているのですが、3名が口を揃えて言うのが、特に競争が激化している環境で、自分達の会社がマーケティングを理解していないのではないかと。

彼らの会社は、業界営業経験と実績を持った営業社員を採用し、欧州に最初に営業拠点を設けました。ところがこれらの営業社員は会社による営業サポートを充分に受けていないと感じていたのです。「私の銀行ではピッチブックすら無いんですよ。」と参加者の一人はこぼしていました。ピッチブックとは、あらゆる欧州金融機関が金融商品を市場に出すときに使うマーケティング分析資料で、顧客となる相手先のプロファイル、商品の持つ優位性、顧客のニーズの分析情報等が記されています。先述の電子会社の営業社員も「私たちの商品がいかなる点で他社製品より優れているか等を分析した書類を見たことが無いんですよ。」と話をしてくれました。

ひょっとしたらこれは単にコミュニケーションの問題で、彼らは今後必要に応じて独自のマーケティングツールを開発するのかもしれません。とは言え、ここには直視すべき根本的な問題があるのではないかと思います。今回例に挙げた3社はいずれも日本では業界トップで、誰もが知るほどの有名な会社です。ところが一歩日本の外に出てみれば、その名前は殆ど知られていません。極端な言い方をすれば、日本市場では会社の名前だけで、商品の優位性とか高いサービスを言及しなくても商売はできるのでしょう。つまり、マーケティングという概念そのものが営業とは別ものとして日本の会社に存在していないのかも知れません。

日本の製造業では「ものづくり=創造の美の追求」の精神が先行するように思えます。つまり、高品質のものを製造することに焦点を絞れば、いずれはその商品が必ず売れるという信念。最近、日本のビジネス評論家が、日本の製造業はマーケティング戦略とは何かを自問すべきとコメントしているのを耳にしました。つまり、何故他でなくこの製品であるべきなのか。どうやって自社製品の差別化を図り、優位性を持たせるのか?又、その製品を一体作り続ける意味があるのだろうか?もしこれら全てに明確な答えを出した上で、ヨーロッパのお客様のニーズが求めているものを掘り下げることが出来れば、ヨーロッパ人の営業社員は自信を持ってさらに営業成績を上げる事ができるようになるのではないでしょうか。

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笑いのつぼ

私は以前日本で顧客満足度調査の会議に参加し、あるプレゼンをとり行ったことがあります。イギリスから参加してくれたお客様にこの会議に関する感想を聞くと、、『日本人の参加者がとてもよく笑うので、驚きました。』とのこと。ちなみにこの方にとって日本は初めての訪問で、日本語も話さない方でした。

日本に馴染みのない英国人は、一般的に日本人は形式的で礼儀正しく、生真面目であるという印象を持っています。だからと言って、日本人にユーモアが通じない、と思うのは大間違いです。むしろ日本人がよく言うのは、『もうちょっと英国人も肩の力を抜けばいいのに。アフター5は特にね!』とよく言います。

前述の会議での私のプレゼンですが、笑いを得るために特に冗談を言ったり、ジョークをうまく飛ばせるほどの日本語力を駆使したわけではありませんでした。勿論、飽きれた失笑を買ってしまったのでも(そう思いたいです!)、皮肉な笑いを誘ったわけでもありません。実は皮肉めいた、ブラックユーモアというのは英国人の常套手段で、このようなユーモアはビジネスの席でも使われることがあります。ただ、一歩間違うと、異文化間の誤解を招くことにもなるのです。

ユーモアと言えば、ある英国人のマーケティング・ダイレクターの経験談を思い出します。彼は日系の自動車メーカーに勤めていたのですが、惨憺たる取締役会議に同席してしまった、と言うのです。この席で、オランダ人とドイツ人の取締役同士が議論を始め、それぞれの主義主張をぶつけ、白熱していたそうです。しばらく成り行きを見守っていた日本人の社長が、余りの状況を柔和すべく『ちょっとコメントさせてもらおうかね』と言うと、英国人の取締役であるマイクが、『社長のコメントは結構ですから』と言いました。この言葉に、社長は部屋から立ち去ってしまったのです。恐らく激怒寸前で尊厳を保つためにされた、苦肉の策ではあったのでしょうけれど。

この話を私にしてくれたイギリス人のマーケティングダイレクターは、社長の後をすぐに追いかけ、『マイクは冗談のつもりで言ったんですよ』と取り成そうとしましたが、社長は一喝。『それくらいわからないと思っているのかね、君!』続いて、『それに言っていい冗談とそうでないものとが区別できんのか!馬鹿者めが!』と怒り顕わでした。要は、マイクはちょとした毒のある冗談で状況緩和を図ったつもりだったのですが、完全に逆の効果を奏してしまったのです。この話を聞いた大概の英国人は肩をすぼめて、「マイクもちょっと鈍いよ」という返事が返ってきます。

そして私は、日本人は辛辣な冗談をよく理解するし、職場でも同僚同士でからかいあうのが日常茶飯事、と彼らが持つユーモアのセンスについて説明を加えるのです。でも、特にビジネスの場で、文化の違いを考慮しないでこの微妙な一線を越えてしまうと誤解を招いてしまうんです。確かに日本人を交えた席での『和の精神』、そして上下関係を尊重する伝統に対して、マイクの冗談は毒気が過ぎたのです。

話が最初に戻りますが、私の会議上での話しの一体何処が日本人出席者にとって面白かったのか、と自問しても、実は私自身、分からないのです。もしかしたら、話の節々に盛り込んだイギリス人に独特の茶目っ気や、少々自嘲的でもあるユーモアが受けたのかもしれません。自分を嘲笑できるユーモアのセンスというのは、イギリス人が誇る国民性なのですが、これは日本人にも通じるところがあるようです。どうやら皮肉っぽいジョークや駄洒落よりも、機転の利いた、自分を笑いのネタに出来るくらいのユーモアの方が国際的に通用するようですね。
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プレゼンテーション

英国のビジネスマンが日本人の主催するプレゼンテーションに出席すると、一様に面白くなかったと不満を漏らすようです。彼らにしてみると、日本人の行うプレゼンというのは説得力・決め手や理論性に乏しい割に、様々な文字サイズや形式に、カラフルな色で飾られたデータとかグラフ満載のスライドばかり、という印象だそうです。多くの日本人の場合、人前で話す事が余り得意では無いので、それが英語でとなると尚更、プレゼン中延々と手元の資料を読み上げることに終始したり、映し出されたスライドの内容をそのまま棒読みしてしまう、ということが非常に多いのです。

こういった英国・日本の人前で話すやり方の違いというのは、教育システムの違いから生じるのではないでしょうか。英国の教育現場では、演劇クラス、学芸会、スピーチ大会、クラス内での討論など、ふんだんに人前で話す機会を生徒は受けられます。その一方日本では、先生から生徒への一方的な情報の提供という教育パターンが確立されていて、英語の授業であっても、会話・スピーチでなく未だに読み書きに重点が置かれています。

とは言え、最近では多くの日本人が西洋人にも引けを取らないプレゼンテーションのスタイルに磨きをかけているのは事実で、日本の書店を覗いてみると、『パワーポイント上達法』などという本が沢山並んでいます。それでも、こと『プレゼンテーションがどうあるべきか』という点に於いては、日本とヨーロッパ・北米では基本的な理解が違っていると私は感じざるを得ないのです。

何年か前、私はドイツ人と日本人のマネジャー達が、取締役会でプレゼンテーションをする際にお手伝いをしたことがあります。ドイツ人マネジャー達はいわゆるヨーロッパの手法を用い、スライドを極力減らして、全体を分かり易い理論で運ぶように工夫しました。そして何度も何度も練習を繰り返し、最終的にはとてもスマートでちゃんと時間内で終わる内容に整えました。一方日本人マネジャー達は、この手法に次第に不満を積もらせていたのです。サポートする側の私としては、最初、英語の原稿を覚えなくてはならないストレスなのかな、と思っていましたが、彼ら曰く、根本的なやり方がしっくり来ない、と言うのです。彼らにしてみると、ドイツ人のやり方は、見栄えばかりに重点を置いている。日本人にとって大切なのは、いかに努力したかを見てもらうことであって、どういうプロセスを持ってここに至ったかを説明する必要がある、と言うのです。

どうしてこのような考え方の違いが生じるかというと、私は、理論性の捉え方に違いがあるのではないかと思います。西洋では、一般的にプレゼンテーションを作成する、小論文を書く場合は、言わんとすることを明確に、というのが重点となります。内容的にも、『はい、今からこういうことを言いますよ』の前置きに続き『かくかくしかじかなのです』と結論付け、更にそれを復唱する、という流れになります。この手法は、日本で言う起承転結に似たところがあるのですが、実際には聞き手に課題を与えて、結論は  聞き手の想像力に委ねるパターンが多いように思えるのです。日本人相手にプレゼンを行うヨーロッパ人には私はこうアドバイスします。プレゼンテーションを行う時には、数学の試験をを思い出して下さい。答えを出すだけでなく、どうやってその答えを導き出したか、経過をしっかり説明することでいい結果に結びつくはずです。

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物事の進め方

shutterstock_6776614西洋では、日本は結果よりもその段取りや進め方に重きを置く国と言われています。例えば、武道においても、力点が置かれているの結果よりも型とか形式とかいったものであるように見受けられます。

私は日本の小学校に通っていましたが、その頃に受けた毎週恒例の漢字テストが今でも思い出されます。どう見ても私の回答は正解なのに、先生は筆順が違うからバツをつけるのです。これは一例ではありますが、日本社会には、特定の方法でしか物事を進めない、という文化があることを、この苦い体験から感じたものでした。

別の一例なのですが、私の日本人の知り合いがこんな事を言っていました。「ヒースロー空港に到着すると、肩の力を抜いていいんだなーと思って、何かほっとする。」これは実は私のコメント、「成田空港に到着すると、全てが予定通り進む国に着いたという安心感でほっとする。」に対する彼からの返答だったのですが・・・

日系企業に働く多くの英国人は、自分達は細部に注意を払う日本のビジネス文化を尊重するのに、日本人の同僚は英国式ルールや段取りを余り重視しない、としばしば不満に思うそうです。具体的には何に不満を感じるのかと彼らに聞いてみると、折角公平な基準を設けても、日系企業はお客様や社員からの要望があればいくらでも例外を受け入れてしまう、と言うのです。

確かに、お客様が王様のみならず『神様』である日本では、お客様の要望に応じてルールが代わることはよくあります。でも、相手がお客様ならまだ理解できるとしても、社内の一部の人間の声によってルールが捻じ曲げられると言う現象は確かに英国人の目には不当に映るのでしょう。原則を曲げた待遇は、公平さ=『fair』な精神を大切にする彼らにすると、不道理なエコヒイキに見えるのです。

英国人はよくカスタマーサービスの中であれ、製造現場であれ、業務上のルールや順序を無視したり、飛び越えたりします。これは、結果が同じなのであれば、(運がよければ)誰に何を言われる訳でも無し、簡単にしたっていいじゃないの、という発想から来るのです。何が何でも規則や運び方にこだわる日本人のやり方に従うことはありません。

ある英国人マネージャーが、自分の管理下の日本人チームについて言及していたことがあります。『日本人に一回段取りを説明するとね、絶対間違いなく確実にそれを遂行するんだよ。私がいちいち途中で経過を確かめる必要なんて全然無いさ。』ところが、それに続いて彼曰く、『実際、プロジェクトの終了をはっと思い出して“もう終わったからいいんだよ。”と言うまで黙々と頑張ってくれるんだから!』

それがうって変わって、英国人部下のチームだと、定期的な業務経過の確認は勿論の事。更には彼らに対して注意したり褒めたりする管理者として、自分の指示がフェアで明確であるか、まで気にしなくてはならないのですよね。

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約束・時間厳守

umbrellas日本から英国に来たばかりだと、どうして英国人は雨の中、傘をささないのだろうと思うことがありませんか。これは英国の雨が日本とは違うせいだと思うのです。英国の天気予報では‘一時的に小雨’’時には晴れ間も’または‘雨が降ったり止んだり’というような表現が使われます。決して日本の予報のように降水雨量を%で予想するようなことはありません。ここで降る雨は、日本の梅雨時の様な土砂降りや、何日も降り続く雨、という感じではありません。そんな訳で英国人には傘を持ち歩くことは億劫なのでしょう。英国では、外出先で必ずしも降られるか分からないし、また降ったとしても小雨である為、濡れてもすぐに乾きます。日本では湿気の高い夏などは、濡れてしまうと一日中じっとりとしたままになりかねない。こんな環境の違いが傘を持ち歩くか否かに影響するのでしょう。

典型的な英国式の‘どっちでもいいや’という無頓着さは日本では通用しません。もし天気予報が80%の降雨量を予測している時に、傘も持たずに出かけたとしたら、間違いなくあなたは余程の“おばかさん”か自分の面倒も見切れない“だらしない人”と思われるのが落ちでしょう。

同じように、あなたが仕事やお客様との会合に遅刻するようなことがあったら、これも間違いなく“自己管理が出来ない人”と一言で片付けられてしまいます。日本の電車はきちんと時刻表通り運行しますが、英国では電車はアテになりません。東京のように夜間道路工事をすれば起こり得ない交通渋滞も、ここではお構い無し、道路工事は白昼堂々と行います。

ヨーロッパでは南下するほど、人々の約束や締め切りというものの捉え方が大らかになるようです。スペイン語の“mañana”=また明日。後ほど。そのうち。という言葉は生活の一部として使われていますので、行動パターンも推して知るべしです。ヨーロッパでも北寄りに位置する英国の人は、時間厳守したいと思うものの、今ひとつ行動がついていかない事が多いのです。がんばっても色々な妨げが起こり得ることを考えると、最初からあきらめモードなのかもしれません。勿論遅刻する自分に嫌気がさすので、あれこれと遅れた理由をあげつらいます。そして確かにそういった説明が、時には同情を誘うのです。ところが日本でそんな行動に出たとしたら、前回のシリーズでお話した通り、全てが“言い訳”にしか聞こえません。

英国にある日系製薬会社で臨床試験を担当しているマネジャーが、以前こんな話をしてくれました。ある試薬プロジェクトが、多数の参加者が治験テストを途中放棄してしまうので、全く無駄になってしまったと言うのです。どうしてかと聞くと、車の故障、二日酔いで来れない、電車が動かない等の理由だそうです。通常、日本では参加者はちゃんと参加してくれるものです。でもこれを異国で期待すべきでは無いのかも知れません。日本人の同僚達は、これは彼女の不手際による失敗として、むしろ彼女のプロジェクトの管理能力を疑ったようです。私も英国人の見地から、このマネジャーは突然の不参加を予期して、定員以上の人数を予め用意すべきだったのではないかと思いますが!この例から見ても、日本人がヨーロッパの人と約束事を交わす際には、遅れる可能性を想定して、締め切り前後にたっぷりと時間的ゆとりを持つことが必要です。当然長く英国に住み慣れた読者の皆さんはこの“欧州スタンダード”を自ずから身につけておられるでしょうけれど。
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報酬とやる気

日本の企業が西洋の企業を買収するときの心配の種の一つに、西洋諸国では当然とされている高いリスクにさらされるトップマネジメントに支払われる高い報酬制度があります。これは金融業界のみならず他業界にも共通している事柄です。
海外に既に進出している日系企業にとってこの問題は特に目新しくい課題ではなく、現地の制度・市場にレートで給与を設定する事が一般的な解決策とされています。

しかし日本の本社サイドからこの現象を見れば変則的な事柄に見えるのは避けれないことであると思われます。
例えば日本の一流企業の社長の報酬は新入社員の10倍から20倍ですが、一方、フォーチュン500社に名を連ねる会社ではこれが300倍から500倍となっています。

そうなると、日本の社長は買収先の取締役とは比較の対象にならないほど低い報酬を受けているという事になります!これを身近な例として海外に派遣された駐在員の立場で見ると、管理される側の現地社員の報酬が、駐在員のそれに桁を一つ加えた程の高給になる、というため息の出る事実に直面することが起きてきます。

また、在日外資系銀行やコンサルタント会社で働く日本人社員は、日本企業で働く同世代・同業種で比較すると、10倍の報酬を得ているという報告もあります。

勿論日本の伝統的な報酬制度は、首切りもないという安定雇用の中で安心感を与え、これを妥当とする考え方もあり、昨今の大不況を目の当たりすると、確かにこの考え方にも頷けるところがあるようにも思われます。とは言え、私はこれらの例から単純に結論を導き出してしまうのは危険だと思います。

不況の真っ只中でも解雇されないという安定感や、高給という条件と引き換えに社員が満足感・向上心を維持できるかというは、日本・西洋に関わらず、必ずしも一致しません。このような要素は社員を企業に引き止める策にはなっても、社員の最大級の実力を発揮させることとは違う事だと認識する事が大切です。

高給・高待遇が社員の勤労意欲の向上に有る程度効果的であろう事は否定できません。それはその社員の業績=企業の発展に貢献しているという事でもあります。つまり、高給・高待遇は社内における権威と責任の大きさの表れということです。スピーディな昇給はその社員が社内でより重要な地位に近づいていることであり、それを支える能力、技量が備わっている事とも言えます。

報酬と権威に裏打ちされた誇りから生じるのが勤務意欲、これが西洋の企業で働く社員の考え方です。一方、ある調査によれば、日本の企業で働く社員の勤労意欲の根源は、西洋のそれとは微妙に異なるようです。昇進・スキルアップが重要であると認知している一方、同僚とのよい人間関係、重要決定事項に参加できること、そして向上心を高めてくれたり、社員と良好な関係を築く上司を持つことも大切と報告されています。

国籍を問わず、人は誰でも己の仕事を通して社会に貢献する事により、認めて欲しいと考えるものです。多くの日本人は従来から、一流会社で長年勤続することを通してそれを体現してきました。ところが西洋人にとってこの発想はすでに1980年代で終焉し、高い報酬と地位が取って代わったと言えます。

日本の会社と西洋の企業とが買収等により融合する場合には、既述のような極端な方策を避けるのが賢明ではないかと思います。高い報酬だけはは約束し、それに伴なった業務決定権を与えないう状態では、いずれ大切な人材が去ってしまう可能性が高いと思います。一方、保証された雇用ではあるが風通しの良くない我慢を強いられる人間関係
お互いの個人を尊重しない環境の中では社員は転職までは決意をしないにしても
勤労意欲はおのずと低下せく事は避けられません。

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ボディーランゲージ

飯塚忠治(センターピープル代表取締役
少し前のテレビコマーシャルで英国の銀行の広告で大変面白いものがありました。これは英国人と日本人のビジネスマンがはじめて会って挨拶をする場面です。
お互いが大変緊張している面持ちの中、日本人が右手を差し出して握手を求めました。同時に英国人は深々とお辞儀をして・・・あわてた二人は同時に先ほどとはそれぞれ正反対の行動をして、またもやすれ違いが・・・東と西はなかなか交わらない!

パニラ・ラドリン
今お話されたことはテレビのコマーシャルでの話ですが、実際はありそうな話ですね。
今の話と似たような話がありますので後でお話いたしますが、その前に、私が異文化コンサルタントとして英国の会社で仕事をしていているときに必ず受ける質問の一つは、彼らが、日本人のビジネスマンと初めて会うとき、また日本に出張するとき、このお辞儀という挨拶の仕方について必ず質問が来ます。

つづきを読む(PDF)ボディーランゲージ

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沈黙は金なり

飯塚忠治(センターピープル代表取締役

今 のお話からですと、英国人も日本人も個人の表現力が他の民族と比較すると少ないようですが、ここで本日の本題の【沈黙は金なり】=【 Silence is golden】 に付いてお話をお聞きしたいと思います。日本では「男は黙ってxxビール」とか言う広告のコピーがあったり、寡黙な人は知性もあり沈思黙考をすると言われ たり、不言実行、何も言わずともそれが深い意味を語り、相手にそれが伝わってゆく等々、沈黙はまさにこれらの諺の表わすとおり、価値のあることでポジテイ ブに捉えられていますが。

パニラ・ラドリン

そうですね、今のお話から言えることは、前回のこの席で話をしました、以心伝心の コミュニケーションにつながってきますね。日本のコミュニケーション文化が寡黙、沈黙ということに重きをおいているのが理解できます。できる限り少なく話 をして多くのことを伝える、底流では日本文化のミニマニズムの代表といわれる俳句、短歌に通じているような気がします。英国でも日本のこの諺を直訳したよ うな形の、【Silence is golden】という諺があります。しかし英国では使われる意味合いが違いますので、誤解のないように申し上げておきたいと思います。

つづきを読む(PDF)沈黙

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