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私が住んでいるのはイングランドの東南部ですが、スコットランドへ行った時に乗った鉄道が日立製の「あずま」だったので少し嬉しくなりました。とても快適でしたし、時刻どおりに運行していました。この路線は完全に電化されていないため、ディーゼルとの両用にしなければならないという難儀がありましたが、この問題を見事に克服したようです。乗客も多かったので、予約システムがきちんと機能していることも分かって幸いでした。
この路線が混む理由のひとつは、途中に観光名所がたくさんあることです。イングランドとスコットランドの東海岸に沿った鉄道の旅は、断崖と海のすばらしい景色が楽しめるうえ、ダラムとヨークの古都と大聖堂を通過し、ニューカッスルとベリック・アポン・ツイードで見事な橋を渡ります。聖なる島として知られるリンディスファーン島とアニック城を彼方に見て取ることもできます。
私はエジンバラで乗り換えて、グラスゴーに向かいました。エジンバラは、おそらくイギリスで最も美しい街。グラスゴーも独特の魅力があり、繊維産業と造船と炭鉱でこの地が栄えた19世紀の壮麗な建物が建ち並んでいます。
炭鉱は、私の大叔父がこの地に引っ越した理由でした。ウェールズ出身の地質学者でしたが、グラスゴー大学で教授になりました。研究分野のひとつが石炭埋蔵物でしたが、真に情熱を抱いていたのは化石でした。化石のコレクションを持っていて、私が子供だった頃に見せてくれたのを覚えています。今回、ケルビングローブ美術・博物館に行ってきましたが、化石コレクションに大叔父の存在が感じられて非常にワクワクしました。
とはいえ、私がケルビングローブ美術・博物館とグラスゴーのもうひとつの美術館を訪れた主な理由は、日本関連の美術品を見たかったからです。日本政府は1878年、文化交流の一環としてグラスゴーに1,000点の美術品を寄贈しました。
これらの美術館ですべての展示室を見たつもりですが、日本のものはあまり見かけませんでした。片方の美術館では中国の美術品は多数展示されていましたが、お目当てにしていた日本の版画が見つからず、係員に聞かなければなりませんでした。その版画は地下に置かれていました。係員いわく、以前は美しい日本の家具調度や見事な日本刀も展示されていたとのことでした。
これを聞いて、日本の美術品が端に追いやられているのを実感しました。東洋コレクションの学芸員が中国人であるせいかもしれませんが、これらの美術館が最近、地元コミュニティの見方を取り入れて展示を入れ替えていたことも理由だと思いました。グラスゴーでは、6,000の中国人留学生を含め、中国人のコミュニティが拡大しています。古い中華街だけでなく、私が滞在した地区も、中国系の商店とレストランがいっぱいでした。イギリス在住の中国人は45万人を超えていて、そのうち約4分の1が香港人です。これに比べて、日本人は6万人にすぎません。
とはいえ、日本とグラスゴーのつながりは、特にエネルギー関連の分野で継続しています。例えば、昨年には丸紅がグラスゴーに拠点を開設し、主に洋上風力発電事業を追求しています。
帝国ニューズ・2023年10月11日・パニラ・ラドリン著
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