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ロンドンの三菱商事に就職した時、同社が1915年にロンドン事務所を開設していたことを知り、私はとても興味を引かれました。ほとんどのイギリス人は、日本企業がイギリスに進出するようになったのは第2次世界大戦後しばらく経ってからだと思っているはずです。しかし実際には、三菱商事は総合商社のなかではロンドン進出の後発組でした。創始者の岩崎一族は1915年よりもはるか前にイギリスとの結び付きを持っていたにもかかわらずです。
この結び付きについて、最近あらためて学習する機会を得ました。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)眼科学研究所の大沼信一教授がロンドン在住の日本人ビジネスピープルを対象に行った講演で、明治時代にUCLに留学した日本の将来のエリートたちのスライドを次々と見せてくれたのです。そこには、1865年に薩摩藩から渡英した14人の学生に始まり、1901年にUCLで応用化学を勉強した岩崎俊彌氏までの名前がありました。
大沼教授は、これらのスライドを見せながら、近代日本の建国と興業を率いた偉人たちが、いかに勇敢に外国へ飛び出し、そこで暮らしたかを説明しました。そして講演後には、このチャレンジ精神を今の日本の若い人たちの間にどうすれば蘇らせられるかについて、熱い議論が交わされました。
大沼教授が提案した点のひとつが、外国での仕事経験が有利に働くことを日本企業が示し、海外経験を積んだ社員が日本帰国後に重要な役割を果たせるようにする、というものでした。
三菱商事では、経営トップは必ず海外経験があることが暗黙のルールとなっています。このため、三菱商事や他の商社に入社する新入社員のほとんどが、海外転勤となることを期待して入社してきます。けれども、むしろ国内事業をルーツとする他の大手日本企業では、このようなルールをそのまま適用するのは難しく、実際、現職の経営幹部に海外経験のある人がきわめて少ないという現実があります。
ただし、比較的規模が小さい会社では、そのような基準を導入できる可能性が高いかもしれません。経営者自身が旗振り役となって、社風を形成できるためです。その手本は、1963年のソニーの盛田昭夫氏に見ることができます。周囲の反対をよそに盛田氏が家族共々ニューヨークに引っ越した時、米国市場をもっとよく理解する必要があるという姿勢が明らかに打ち出されました。
ソニー現社長の平井一夫氏が幼少期から海外で暮らし、ソニーの海外法人で働いた経験を持っていることは、決して偶然ではないはずです。日本マイクロソフトの社長を務めた成毛眞氏は、インターナショナル・スクールの卒業者が成功した例はないと言いましたが、平井氏は東京のアメリカン・スクール出身です。
ソニーは現在、困難な状況に直面しているかもしれませんが、私は、その再生計画の成功を願ってやみません。創業者が自らの行動で示した起業家精神、日本の外の世界に目を向ける姿勢、変化に対する順応性といった伝統が、これからも生き続けてほしいと思うからです。
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